doppo読者の皆さん、はじめまして。

今回、コラムを書かせていただく機会をいただいた、國井光枝と申します。
私は東京都大田区でケアマネージャーとヘルパーの事業所を経営しています。

「経営している」というほどカッコイイものではなく、実際には訪問介護の実務 - サービス提供責任者とヘルパーも行っています。
事務所では、総務・(苦手な)経理・消耗品の買い物や(たまに)トイレ掃除まで、小さな事業所なので何から何までやっている!というのが実情です。

 

この「介護」という福祉の業界に入るまでは、フツーに会社勤めをしていました。
技術的なことは “ちんぷんかんぷん”ですが、IT企業に籍を置いていたこともありました。

そんな私が「介護」なんて! 本人が一番びっくりです。

 

きっかけは、義父が脳内出血で倒れたことからでした。

都内の病院に3ヵ月入院し、その後リハビリのために山梨の温泉病院へ。
その間にこちらは会社を辞め、義母とともに病院へ見舞に行く日々。
夫(正確には、元 夫)も私に続き、会社を辞めてしまいました。(どーするつもり!?)

 

失業保険のお世話になりながら、今後どうしていくか。。。 そんなことを、有り余る時間の中で模索しました。

親の介護をしながら、仕事をする - それなら、いっそ「介護」を仕事にしてしまおう!というのが、元夫の発想でした。(晴天の霹靂)

 

koro_kunii_20151110_1ホームヘルパーの講座を受講することから始まり、手探りながら取り組んできた介護の仕事も13年目。

気が付けば自分の人生で一番長く続いている仕事になりました。
ヘルパー講習の講師の方で、「介護は、3日やったらやめられない!」とおっしゃっていた方がいましたが、自分で事業所をやっているのでやめられない!?という現実もあります。

 

前置きが長くなりましたが、最初このコラムの1回目のテーマとして「日本の介護は、どこに向かっているのでしょう?」などという内容を考えていましたが、あっさり方向転換。

今回は自己紹介がてら、ヘルパー講習を受けていて、とても心に残っているお話をご紹介したくなりましたので、それについて書くことにします。

 

受講した内容はすっかり忘れてしまっていても、なぜだかこのお話は、今でもしっかりと記憶に留まっています。

それは、ある講師の先生の経験談でした。

 

ケアマネージャーとして、ご利用者様を訪問していたときのことだったそうです。
すでにご自分の死期を悟っていたおばあちゃまでしたが、このケアマネージャーである先生の訪問を楽しみにしていて、お話するのが好きだったようです。

 

そのおばあちゃまがある日、この先生にこんなことをおっしゃったそうです。
「私が死んだらね、あなたに『あの世』を教えてあげるね」
「え!『あの世』? 私を一緒に連れて行ったりしたらイヤよ」と冗談で返したそうです。

 

ほどなくして そのおばあちゃまは亡くなり、葬儀などが一段落した頃、先生はお線香をあげに、このおばあちゃまのご自宅を訪問されたそうです。
娘さんとお話をしながら故人を偲んでいるとき、テーブルの上に置いてある花瓶の花が風もないのに揺れました。
「あら?」と思ったそうですが、なぜ揺れているかわからない。。。

その時ふっと、「私に『あの世』を教えてくれるって、仰ってたわ」と、訪問時の会話を思い出したのだそうです。
その約束を思い出し、心が何とも言えずあたたかくなったのだとか。

 

えー!怖い!とか、そんなこと、超越してますよね。

 

でも私はこの話が大好きで、一緒に受講していた友人とある日ヘルパー講習時の話題になったとき、やはり彼女もこのお話が印象深く残っていたらしく、「いいお話だったよね」と共感したのでした。

 

幼い頃、私の家には祖父母も同居していて、親とは違う視点からいろいろなことを教えてもらったという記憶があります。
祖父母が田舎に引っ越してからは、夏休みを祖父母のところで過ごしました。
その間、祖父母だけではなく、遠い親戚のご高齢のおじさんやおばさんたちのお世話にもなったのですが、その中の特に一人の叔母を忘れることができません。

子供の私を子ども扱いせず、大人たちの思惑(?)や「こうしたほうがいい」ということを、納得いく形で教えてくれました。

一人の人として接してくれたことを、私は生涯忘れないと思います。
高齢者に対する敬意のようなものは、この経験なしには培われなかったと思っています。

 

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國井 光枝 さん sj_20150820_kunii

有限会社うらら 取締役社長
介護福祉士
ヒプノセラピスト
語学の専門学校を卒業後、一般企業に就職。
3年目の夏、勤務していた会社が親会社から離れることになり、規模縮小に伴い希望退職を募ったのを機に退職。
渡米して、6週間ほど滞在。
夢にまで見たアメリカであったが、基本的に「生活」することは、どこにいても同じだと感じる。
この旅をきっかけに、自分の感情を素直に表現すること、つまり「自分を生きる」ことを理解し、この感覚が現在に至っている。
広告関係の仕事や秘書、コーディネーターなど、またIT企業での仕事を経験し40歳で結婚。
2002年の春、義父が病に倒れたことをきっかけに会社勤務の継続を断念。
2004年、夫と起業。
2006年、介護のうららを設立。
2010年、ヒプノセラピーを学び始める。
2013年に離婚、2014年から本業の傍ら、ヒプノセラピストとしてのミッションにも注力する。
「人のためになること」を目標に、日々の仕事に携わっている。