今更ながら断捨離をひも解いてみると、2010年頃から流行りだした言葉だった。

当時私自身は縁がないと思っていた言葉の1つが、この断捨離である。

 

まずは、知らない人はいないだろうこの言葉の考え方を自分なりに復習してみよう。

ヨガの「断行」、「捨行」、「離行」から来ている断捨離は、モノへの執着 から解放されてストレスフリーになるというもの。

かなり大げさな考え方かもしれないけど、「捨て」かどうかを長く迷った挙句捨てたときには確かにすっきり 感が残るから、精神衛生上はいいのかもしれない。

 

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友人の「断捨離やりすぎたぁ」という声に、今さら感を持ちながらも何をやりすぎたのかと聞くと、キッチン用品を一気に処分したのだという。

去年を振り返り、一度も作らなかった料理にのみ使う型や刷毛の類、応用のきかないキッチン家電を仕分けしてみたのが年末だったらしい。

それを一気に処分したのだそうだ。

 

その後に迎えた休日、暇を持て余して新たな料理をレパートリーに加えようとした瞬間、あるはずのものがなく、簡単にできるは ずの料理が手の込んだ料理に早変わりしてしまったそうだ。笑い話にしかならない。

 

確かにキッチン小物はめちゃくちゃ面白くて、つい惹きつけられてしまう魔力がある。

お店に入ると目的もなくうろちょろしてしまうのが、本屋とキッチン小物雑貨店である。

となると、不要と呼ばれるものが隠れている温床と化すのも、キッチンということになるのだろう。

 

学生の頃は部屋も狭く、キッチンはお飾りに近い空間だった。

そのため、最低限のものさえあれば十分。お皿やボールも1つでいろいろと使い分け、友人が遊びに来ても、湯呑みでコーヒーを飲むことなどたいしたことではなかった。

ところが年を重ねるにつれ、コーヒーはコーヒーカップで飲むし、皆におそろいの皿を出すようになっていったように思う。

 

若いころは、断捨離は私にとっては不要だったのかもしれない。

物理的な空間が少なかったというのもそうだが、年齢を増すにつれて増えてくるいろいろなしがらみの中、断捨離は必要性を増してくる。

今の我が家の食器棚には、セットものの食器が少なからずおいてある。

何年かに1度、私のマンションに家族がそろって正月を迎えるようになった。

となると、 食器が足りない。

ということで、何年かに1度、私の食器棚は満杯になる。

しかも親の趣味で買っているので一人に戻るとほとんど使うことはない。

 

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そうだ、こ れをどうにかすると私も断捨リアンになるのだね。

と、思ったら、“今さら” 断捨離に挑戦してみようという気分になってきた。

食器以外で使わないもの、不要なもの、なくてもいいものってなんだろうと考えると思いつくのは、キッチン家電だった。

 

私は意外とキッチン家電は持っていない。ミキサーすらない。

そんな私でも、1年以上使っていないキッチン家電がある。スライサーだ。

以前は毎日使っていたのだが、だんだん腕も上がってきて、最近では、包丁1本で十 分と思い直し、スライサーは素敵なキッチンのインテリアになってしまった。

処分しても大丈夫。でも、また今度にする。

未だ私は、物欲から逃れられない。 だって結構高かった。

 

ひとりものだからたまるものってなんだろう。

そう思って、キッチンに立っていた私が思いついたのが、買い物先でもらったレジ袋。

 

最近はマイバックを持っていくし、ゴミ袋が有料になったので、前ほどはレジ袋を使うことが減ってきた。

しかも、ひとりだからゴミがあまり出ない。

なのに、ひとりだからをいいこと に、帰り道についコンビニに寄ってしまう。

そしてたまるのが、あまり使い勝手の良くない小さいサイズのレジ袋というわけだ。

これは意外とあっさり捨てられ る。うん、いいね、これは今度捨ててみよう。

 

私が最近整理したのは、化粧品の試供品。

街中でもらうということもあるが、最近では、郵送されてくるカタログやDMに1つだけくっついてくることが多い。

旅行とかで小さくて便利ということで貯めているのだが、これにも消費期限がある。

ということで、妹に一気にあげてしまった。

妹は旅行好きだし、旅行の最中 は化粧品に頓着しない。

私はというとやっぱり、いつものを使いたい。一日でも違うものを使って、肌トラブルはいやだもの。

 

どうも私の断捨離は、スケールが小さい。単なる整理にしかなっていないように思う。

とはいえ、ちょっとのスペースが何となく嬉しく思えるってことは、大々的にやると、きっとすっきりするなと思う。

 

家に帰って猫2匹と過ごす時間は、毎日飽きることもなく、とっても素敵な時間。

そんな時に余裕のある空間が存在するというのは、すごく贅沢な気分にさせてくれる。

 

年齢を増すにつれて、自分の空間には自分にとっての「いいもの」を置きたいと思うようになる。

その時に、余計なものをその空間に入れないこと、そんな空間を作るためであれば、やりすぎた断捨離はない。必要なものは必要だと認識できるから。

すっきりした空間が好きな人は、めいっぱい物を減らせばいい。

ごちゃごちゃした空間が好きな人は、好きなもので一杯にした場所を持てばいい。

断捨離ってい うのは、決して物を減らそうといくことではないと思う。

思い切って息を吸い込むことができる環境、気持ちを作り上げることだ。

断捨離って、心を解放することなのだから。

 

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そういう意味では、人間関係もそうかもしれない。

ソーシャルネットが張り巡らされた今、意外と切りたいラインがいっぱいあるかも。

仕事とプライベート、 きっちり分けることが好きな人にとって、この蜘蛛の巣だらけの社会でどの糸を切るかは、断捨離の決意で臨まなければならない。

切ったと思い込んでもいても、すぐに復旧している線がいっぱいあることもお忘れなく。

そして、人脈に欲をもったわけでもないのに、つながっていることもある。

逆に切れてしまっていたラインがつながる嬉しさもある。

 

今までの断捨離がモノに対する欲をなくすことだったのに対し、今は、つながりに対する欲をもつことに変わっている。

人脈を断つこと自体も、自分に何らかの欲があるからで、こと人に対しては、欲を持って断捨離を実行してほしいと思う。

 

さて、あなたの断捨離、どうやって進めてみますか。

私はとりあえず、明日レジ袋を捨てることから始めるつもり。