タイのバンコクは非常に大きく、有名な町ですからあまり説明しませんが、外国人が多い大都会です。
私は以前から憧れており、ベトナムに住んでいる間に必ずタイへ行きたいと思い続けていました。
そして、ついに行ってきました。
タイへ行ったら、やってみたいことがいくつかありました。
私は海辺のリゾートよりは世界遺産などを見に、山の中に入っていく方が好きなので、ぜひアユタヤに行って遺跡を見たいと思っていました。
そしてタイと言えば象!
今回の旅のメインイベントは「象に乗ること」と決めて、これを成さずして家には帰らずと心の中で誓っていました。
バンコクの街中を観光し、楽しんでから3日目と4日目にツアーを申し込みました。
3日目のツアーはアユタヤの遺跡巡り。
4日目のツアーの内容は「戦場に架ける橋」で有名なカンチャナブリへ行き、いかだボートで川下りをし、エレファントキャンプに行って象に乗ってから、トロッコ列車に乗り山間を進み、市内へバスで戻るというもの。
ついに私の目的の象に乗れるのです!楽しみ~!!
まずはカオサンロードというバックパッカー街で早朝に集合、12名程度が1台の車に乗り、出発しました。
メンバーは欧州メンバーが多く、他にブラジル、台湾からも来ていました。
日本人はどうやら私だけのようでした。
まずはカンチャナブリにある、多くの犠牲者を生んだ「戦場に架ける橋」の舞台となった鉄橋へ。
この近くには小さな博物館もあり、そこにある当時の状況を表した人形達はかなりリアルな感じで作られており、見ていて胸が非常にモヤモヤとするものでした。
人形の表情を見ていると、叫び声が聞こえてきそうです。
日本軍がミャンマーとタイとの架け橋として作ったこの木造の橋は、様々な国の人の犠牲者を出したそうです。
このような場所で日本人が笑顔で談笑しようものなら、周りの人に咎められそうで、それは恥ずかしい行為のように思いました。
世界では日本はいい国だと思われがちですが、このような歴史があったことを忘れないように、しっかりと胸に刻みたいと思いました。
その後は川の上に浮かぶ小さな店で昼ごはんを食べ、そこからいかだボートで移動。
ついにお待ちかねの象に会いに行きました。
着いた場所は、川の近くにある小さな何も無い木々の中。
その中に象が6頭ほどと、子象が1頭いました。
象の上には椅子が着けられていて、2人が乗れる大きさでした。
私は嬉しさで興奮気味、わくわくして象に近づきましたが…あれ?何か元気無い。
象は明らかに疲れている様子で、象使いにムチで叩かれていました。
「なんか可哀想…」そう思わずにはいられませんでした。
餌のバナナを買って、子象にとりあえずあげてみました。
すぐにパクリ。
どんどん他の人があげるバナナも食べていました。
子象は元気でかわいいものです。
その後は順番を待って、大きい象の背中に乗りました。
私は1人で来ていたので、同じく1人でツアーに参加していた体が大きいベルギー人のおじいさんと一緒に乗りました。
象は足取り重そうに、疲れた顔でゆっくり歩き始めました。
象使いはムチを叩いて、歩かせます。
私は今まで楽しみにしていましたが、あまりいい気分ではありませんでした。
「ここには何頭ぐらいの象がいるんですか?」
と、象使いに聞いてみました。
「昔はたくさん象が住んでいたけど、今は少なくなったよ。ここには今6頭しかいない。でも、毎日とてもたくさんの外国人観光客が来て、象に乗るんだ。だから、象達はとても疲れているよ。もう少し休ませてあげたいんだけど…どうしてみんなそんなに象に乗りたいんだろう。でも、観光客がいないと僕たちは暮らしていけないから、好きじゃないけど象にムチを振って歩かせているんだ…」
そう言って、象使いは象から降りて象の前を歩き出しました。
そのとき、象の小さな目から涙が流れました。泣きながら歩いていました。
「え!?」私はビックリしました。
でも、そのまま頑張って歩き続けています。
私は少し後悔の気持ちにかられました。
どうして何も考えずに単純に象に乗りたいと思っていたのだろうと。
切ない気持ちを引きずりながらも、象に乗れたことに達成感を覚えようと、写真を撮る私。
「何か虚しい…象さん、ごめんなさい。」心寂しい気持ちが離れません。
人生で象に乗ることは後にも先にも今だけにしようと心に決めた、サイヨクノイにあるエレファントキャンプでの出来事でした。
【あわせてチェック】
能天気にマラッカへ行く~人との出会いは天国と地獄
怪しい一人旅
台湾一人旅のきっかけは、「おいしいバナナが食べたい!」